清水東高100周年

静岡県立清水東高等学校
100周年記念サイト

お祝いメッセージ

髙橋 誠

高13回生

私の今のあだ名は「ヤバイデン髙橋」。理由はバイデンさんと同い年、しかし㈱創造開発研究所を創業し来年は50周年ですが、経営がヤバイのです。会社は、創造性教育から始め、2千社、2万人以上に各種の教育を実施、またネーミングの会社でもあり、ゆうパック、かもめーる、TOSTEM、BIG EGGなどの名付けをしました。研究では創造性をテーマに、日本創造学会の理事長、会長を務め、今はフェローです。著書は国内で81冊、今後もエージブックを狙います。海外では19冊訳されています。趣味は羊グッズ収集で、門柱・椅子・人形・ネクタイから箸まで2000個、横浜人形の家で展示会も開催しました。
東高1年の学園祭で演劇の主役、化学部での卓球が思い出です。以後は東京教育大・心理、筑波大修士、東洋大で博士(教育学)です。今後の願いは、2024年に「ヤルジャン髙橋」への改名です。
【写真】1枚目:私の著作、2枚目:講演中の様子

中澤 通訓

高15回生

1年の秋まで野球部だったが、体力不足、勉強不足でやむなく退部。2年になって、陸上競技にに誘われ、強肩を買われて(?)何も知識のない槍投げに。当時清水商業にインターハイ出場選手がいたので、紹介者もなく押しかけてイロハを勉強。非常勤教師の重量挙げの国体選手にウェイトトレーニングをみっちり指導されてた。3年時には、危険防止のため朝食前に登校して、槍を50本くらい投げ、それから部室で握り飯を食べて授業へ・・・の毎日。短期間の陸上部ではあったが、中部大会3位、県大会5位。東海大会では、あと30㎝で全国大会出場の成績だった。
大学運動部のシゴキが事件になっていた時代だが、大学入学後、陸上競技部の門をたたき入部。その年から箱根駅伝のメンバー不足のため補充されて予選会に参加。2年目は腕をけがしたので、半年間長距離メンバーになって、予選会突破。学内選考も勝ち抜いて本番を走った。(8区 平塚~戸塚)
疲れを知らない若い時代だった。

遠藤 裕孝

高17回生

高17回卒代議員、東高野球部OB会顧問、静岡市議会議員をしています。
高校生活の思い出は「甲子園出場!」を目標に、清水東で甲子園3度出場、県高野連理事長を務めた名物部長、稲毛森之助先生の指導の下、一年生の朝は授業前にグラウンドならし、雨天では柔剣道場を借りての室内練習。練習の休みは年末年始の二日間だけでした。暗くなるまでの練習が終わった後、帰宅途中に仲間と寄った学校前店の楽しい時間。帰宅してからのボール縫い。ひたすら野球に打ち込んでいたことです。
その後、立教大学ではピッチャーとして神宮球場で六大学野球を体験しました。稲毛先生の「打てたら打とう、ではありません。打つのです!」と言われた言葉は今は「やれたらやろうではなく、やるのです!」と行動の支えになっています。私の人間形成の基となった三年間でした。

杉本 信策

高28回生

在校生のときが50周年でした。あれから50年とは。100周年おめでとうございます。高校3年間は恩師雨宮忠先生抜きには語れない教室生活でした。背が高くて威圧感と恐怖感を感じました。2年3年の独身寮では担任、3年間通して数学を毎日みっちり教わりました。2年生夏休みの数学の宿題が尋常でなく、恐怖のあまり心を入れ替え、夏休みでは初めて計画的に宿題に取り組みました(数学だけは)。卒業式の日だったか最後のホームルームで、机を並べた仲間の絆は忘れぬようにとの担任最後のお話があり、先生はまるっきり鬼ではなかったと感動したことを思い出します。今は鬼籍に入られました。清水(静岡駅)の同窓会で何度かご挨拶し、昔と変わらぬお姿に、恐怖心が蘇りました。教室外。プールにいました。通用門横の塀沿いにありました。水泳部の活動のひとつにプール掃除がありました。循環槽を持たない溜めっぱなしのプールで、シーズンに3度ぐらい水を抜いてブラシで底から壁面からこすっていました。翌日か翌週、澄んだきれいな水に飛び込むと、冷たさで身が引き締まるのと、25m先のきれいな壁が近くに見え、それだけで速くなったような達成感がありました。教室外その2。球技大会バスケットでは独身寮5組対1組に燃えました。昼休みの練習に励みました。理数科(4組)が意外に強く手を焼きました。3年生のとき5組1組が決勝に進み、どちらが勝ったのか実はよく憶えていないのですが、燃え尽きて翌日の終業式のことなんか、すっかり忘れていました。その後、担任の雨宮先生から、その1日がなければ3年間皆勤だから、終業式だけのことだし皆勤にしてやると言われましたが潔く辞退しました。

佐山 淳

高29回生

100周年おめでとうございます。
一枚目の写真は、先日、僕と同じ高29回生の二人と一緒に行った京都の川床で撮影しました。一番右が自分です。
二枚目の写真は、高校2年の時に行った奈良・京都の修学旅行の一枚で、京都駅です。
当時は奈良も京都も良さがわからずに、ただみんなについていくだけでしたが、今では京都が好き過ぎて、京都に住むようになってしまいました。

土橋 貴子

高33回生

創立100周年おめでとうございます。
高33回の土橋貴子(旧姓:大内)です。
在学中は剣道部所属。文武両道を実践するため、短い稽古時間でしたが、それでも、稽古終了を伝える太鼓の音が待ち遠しかったものです。
ちょうど旧講堂を壊し、第二体育館を建設したため、監督の所有する道場に通い稽古しました。
合宿所は男子専用だったので、女子はその道場で自炊し寝泊りしたことも、いい思い出です。
ひょんなことから30代から代議員として同窓会に携わり、現在は婚活支援「絆ルーム」の室長をしています。
仕事は昨年定年を迎え再雇用。焼津の石原水産に通っています。店舗と通販担当。手間要らずで美味しい商品を販売しています。
この100年、いろんな分野で活躍する同窓生を輩出してきたことを嬉しく思い、この先もますますの発展を願っています。

久保 退三

高33回生

清水東高校、創立100周年おめでとうございます。

私は、清水七中出身・バレー部&応援団でした。
この歳になっても、高校時代のことは、楽しい思い出として、記憶しています。
1年の時は、何もわからずに美術を選択しました。
1年1組、男子だけのクラスになりました。担任は宗利先生、副担任が北岸先生でした。科学は桑原先生だったなあ。
楽しかったです。
2年になる時、理系を選択しました。33回生は360人中70人しか女子がいない学年でした。
勝沢先生が副担任になりました。夏の球技大会はいい成績を収めましたが、男子クラスでした。
3年になると、2年の時から担任になっていた北岸先生から、「タイゾー今年もよろしく」と言われ、金バッチを作りました。
この年の夏に、松山のインターハイでサッカー部が優勝したのです。
僕も6月から応援団に入って、ちゃっかり、松山に行きました。

清水東高校だったからこそ、この思い出があったと思うんですよね。

次の100年も、この学校でたくさんの思い出ができていくことを願っています。

片山 晴之

高33回生

清水東高校創立100周年おめでとうございます。
自分は、四中出身、卓球部でした。
昨年、還暦を迎え、高校のころの思い出もかなり忘れてしまっております。
清水東に入学してからの一番の財産は、今でも気楽に話せる同窓生の友人が多数いることです‼

中村 勧

高34回生

東高100周年おめでとうございます。
三保にある三井・ケマーズフロロプロダクツ(株)の清水工場で工場長をしている中村です。100周年委員会のメンバーの一人としても活動しています。
記念式典まで5か月です。清水区全体で盛り上がることを期待しています。

膳亀 信行

高35回生

清水東高校創立百周年に際し、心よりお祝いを申し上げます。 私の在学時代は本当に夢のような3年間でした。個性強めな先生方、Dr杉山、前店のおばさん、サッカー部の先輩、同級生、後輩はもちろん清水東高校に関わった全ての人のおかげで、毎年全国制覇を経験することができました。 その後大学卒業後に母校に配属され、教員人生のスタートを清水東高校から過ごせたことは、大変光栄なことでした。優秀な先生方、そして素晴らしい教え子たちとの出会いは私の人生の宝です。今後の人生において微力ではございますが、清水東高校で過ごした貴重な期間に学んだ事を少しでも社会に還元することが出来たらと考えています。 今後益々の母校の発展をお祈りしております。「ねばれ、走れ、清水東高校!!」

鈴木 晶

高37回生

創立100周年、おめでとうございます。伝統ある学校の卒業生であることを誇りに思っています。
クラスメイトと一緒に盛り上がった球技大会や学校祭などのイベント、その後の打上げが在校時の楽しい思い出です。当時はサッカー部が強く、全国制覇を果たした勝沢先生の鋭い眼光の下、緊張感と活気に満ちたハイレベルなサッカーの授業も良い思い出です。
生活環境の変化と共に、同級生と疎遠になる期間がありましたが、私達、高37回生が幹事を務めた同窓会をきっかけに、交友が再開し、今では帰省する度に、深夜まで飲んだり、歌ったり、高校時代の打上げをスケールアップして楽しんでいます。昨年は関東同窓会の運営に携わり、東高を大好きな同窓生の方々に接することが出来ました。良い友人と同窓生に恵まれたことに感謝しています。次の100年も、皆から愛される東高で在り続けて欲しいですね。
話は変わって、関東同窓会で動画を制作しました。2022年の故郷の様子や、懐かしい映像を観ることが出来ます。YouTubeで「清高関東35」と検索してみて下さい。
【写真】1枚目:高校2年の研究旅行・銀閣寺にて(左から1番目)、2枚目:第35回関東同窓会幹事の同級生と新国立競技場にて(右から2番目)

安達 寿彦

高40回生

創立100周年、おめでとうございます。また、この度は三輪桂さんを中心に高40回生の同窓会幹事の皆様、お疲れ様です。
清水東の在学当時、私の自宅は正門から徒歩2分でした。辻小、一中、東高と進学した私にとって、東高は幼い頃から目の前、本当に身近にある存在でした。でも当時、私より更に近く、通用門まで徒歩1分の同期、S君、N君もいました。懐かしい思い出です。高1、今、思えば勝沢先生が東高最後の年でした。体育の授業でお世話になりました。高2、サッカー部の選手権県大会決勝で草薙へ応援に行きました。残念ながら東海大一に敗戦、でも紙一重の結果だったと思います。
あっという間に卒業後、35年が経過、東京生活も30年近くになりましたが、あの頃の日々は忘れておりません。清水東の益々のご発展をお祈り申し上げます。